2020/2/10の日記 映画『ミスト』を観た

睡眠時間 5時間41分(9:30〜15:11)

少ない。もうちょっと早めに寝れたらよかった。

 

食事

1食目 16:00 (トースト、ミネストローネ、目玉焼き)

2食目 21:00 (ハヤシライス)

3食目 2:00 (牛乳200ml プロテイン

 

3食目は食事というか寝る前にタンパク質とっといたほうが良いから飲んどこうと思ったやつ。そのあと結局朝5時まで起きてたからおなか空いてきてるし、でも食べるだけの元気ないし眠いから寝る。こうやって痩せていく。マジで良くないんだよな栄養不足で寝るの。筋肉と体力落ちまくる。寝る前に一日を振り返ろうと今ブログ書いてるけど、そんなことより優先して食事したほうが良いな。すぐ書き終えてなんか食べよう。

 

 

 

映画『ミスト』を観た。なんか窓と扉がシンボリックなのかな〜と思った。

ネタバレになるけど、

 

最後のシーンで車の窓越しに見ている世界に対して絶望して行動したあと、車のドア開けて実際に外の世界へ歩いてくじゃないですか。あの展開。それと、冒頭の木が窓を破るとこ、中盤の窓ガラスが破れるとこ、異次元の窓を開いてどうこう〜、と軍の人が噂を説明するとこ、カーモディさんが「お前たちが窓を扉に変えた」と断罪するとこ。映画のタイトルはミストなんだけど、霧が見通しの悪さによって視界を塞いで何かを覆い隠しわからなくするのと同じくらい、窓や扉も空間を区切ったり繋いだりすることで真実や希望や絶望への道を切ったり繋いだりしてるなー、タイトルがウィンドウでも納得するかもな、とか。そういやキング原作の映画でシークレット・ウィンドウってあるけど。シークレット・ウィンドウ以上にミストがウィンドウ観念感強くて。シャッターが半開きだったのも物理的な半開きと意義的な半開き(意義的な半開きって何?って感じするけど、物事の片鱗が開幕見える、という意味で)が一致してるのかな。

窓は偶然破られて扉は自分で開けていく。自分で何かを開けたことの責任を人は自分で負わなきゃいけなくて。ていうか自分で自分に負わせることになっちゃう。開けたら二度と塞がらない穴を空けるときは覚悟がいる。四つの風穴とか。でもって覚悟の上で行動したところでそれが正しいかどうかは別だし。窓が偶然破られて外の世界と内の世界が繋がることへの対処が要るし、扉を自ら開けて外の世界と内の世界を繋ぐことへの対処も要る。それぞれがどのような結果を生むのかは判らなくて。でも絶対に結果はやってくるんですよ。それこそ霧の中を手探りで進むみたいに。みんな何が起こるかわかんないまま生きてんだよな。出た!自分の中のなんでも一般化して相似の関係と普遍性で解釈する部分!

 

思いつきで「絵を描くことは自分で自分の窓と風景を作ること」と考えたらミスト冒頭のダークタワーの絵を描いてるシーンと窓の外を眺めるシーンがそれを逆転させて「窓の外を覗くことは自分で外の世界を描くこと」に繋げていくものとする解釈ができた。実際に窓の外の世界で行動して影響を及ぼせるし。

ダークタワー観よう。ミストに出てくる怪物たちがやってきたのダークタワーの世界からなので。それも踏まえて考えると冒頭のシーンでダークタワーの絵を描いてるの思ってたより意味付けが強いのかな?