2020/1/30

23:00就寝

6:50起床

7:30朝食(ミートソースパスタ、牛乳)

11:00気絶(急に倒れた)

12:00電話に応答したらしいが記憶にない

17:00意識回復

18:00昼食(お好み焼き、卵かけご飯)

20:30外出(日用品の買い出し)

22:00入浴

23:00夕食(シチューハンバーグ、白ご飯)

23:30読書しながらおやつ(三ツ矢レモラ、カルビーのザ・ポテト)

1:45ブログ更新

 

せっかく朝起きれたのに謎の突発睡眠で1日潰れてしまった。眠ってた間に掛かってきた電話に自分が返事したらしいが全然知らない。ナルコレプシーなんだろうか。検査受けようかと思う。

 

夕食後におやつ食べながらリチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』を読んだ。この前マーダーミステリー『探偵シド・アップダイク case.01 スローターズパレス』を遊んだときに登場人物のファミリーネームがみんな小説家の名前になっていて、その中にブローティガンも居たので思い出して再読した。スローターズパレス面白かったので今度どこかで人集めて遊ばせたい。私GMやります。というのもこのマーダーミステリーはシナリオのネタバレがある以上一度しか遊べないので。

 

『西瓜糖の日々』は最初のどかな感じでほのぼのと読んでたらなんか急に狂気が感染しはじめて、だけどのどかな感じは消えずにやばさと調和するのが好き。別に何が起ころうが何も狂っちゃいないしやばくもないとも思う。実は序盤の虎の話をかいつまんで箇条書きにしてあるあたりで西瓜糖の世界の血生臭さが感じられるのかもしれないけど、なんかこう、虎が人を食うことに対しての感覚が「飢えた虎を哀れに思って高僧が自ら身を捧げる」みたいな徳の高い感じで個人的に固定されちゃってるせいで、西瓜糖の世界の虎が人を食べることに、恐ろしさではなく妖精さんの世界の掟感(なにそれ?)を覚えてしまったせいで自分は気付くの遅れた。ブローティガンもそういうつもりで書いたのかもしれないなと少し思わなくもない。ヘッセが晩年東洋思想に傾倒してたみたいな。ブローティガンはそういう思想による感じではなく自分の生活から湧いたイメージの世界を膨らませ続けたのが西瓜糖なのかな。

 

どんな世界であれ生活は絶対的に生活なんだよな、という感じがする。翻って、どんな生活であれ世界は絶対的に世界で在ることが、生活の如何をまるで介さない、何も思う必要はない、ただ私は生活の中で何かを自然と思っている、ということへの解放感が『西瓜糖の日々』の読後感として自分にはある。

 

夕方に友達から明日映画行こうと誘われたけど、今日の謎突発睡眠で疲れてて明日の生活が予測不可能なので断ってしまった。こういうときによくあるんだけど、自分の体調や起床のリズムが読めなくて約束を断った日に、もし当日になって調子がよくなっても個人的に出掛けたりするのは不義理な気がして、家に篭ってしまう。「明日は体調悪いから」と断った日なのに出掛けてたら相手に悪い気がして。具合が悪いと申告した以上は本当に具合が悪くならなきゃいけないと全身が思い込んでいるっぽくて熱が出たりする。実はそんなの気にせず元気になったら自由に動けばいいのに。自分の生活だぞ。その自分の生活が自分の手中にない感じを長く抱えているのでそうなっちゃったのかもしれない。

 

 

 

・今日の反省点

朝起きれたのに昼に長く寝て一日消えた→もう今度から朝のうちにコーヒー飲んでおいた方がいい

気力が無くなってほぼ何もできなかった→そういうときは全てを無視して自由にするように

ポテチ食べちゃった→好きに食べろ

今日も2食しか食べてない→気にするな

 

 

・今日のよかった点

化粧水買えた ついでに買った三ツ矢レモラがおいしかった ポテトおいしかった 西瓜糖の日々が面白かった

 

無理に朝起きて夜寝る生活に自分を嵌め込もうとすると何もできないので今日は夜更かしして好きなだけ映画観ようかな〜〜と内なる悪魔が囁いてる

 

 

体重の推移、何で管理すればいいのかわからないのでブログに書いちゃお

53kg