2020/2/1

睡眠8時間32分(11:30〜20:02)

 

20:30食事(手巻き寿司、味噌汁)

 

2:00食事(サンドイッチ、オイルサーディン、ホットミルク)

 

今日は何もしてない。寝てた。あと友達と映画を観に行く約束をした。

 

ずっと家にいるので一回くらい外に出ようかな。これ書いてる今午前4:19だから暗いし寒いけど。

 

なんか弱音しか吐けないな〜となってブログ書かなくなること多かったから、最初から弱音吐くように作ったこのブログはそれを書けばいいので楽。

 

自分と人を比べないほうが良い、って言うじゃないですか。でもやっぱどうしても比べちゃうんですよね。なんで自分は学校行けないんだろう、働けないんだろう、やりたいことひとつもできないんだろう、って。同い年の友達が大学出て就職して結婚して子供いる中で自分は中学生の頃と変わらず家で鬱病に苦しんでて。私も大学行きたいし働きたいし結婚したいし子供ほしい。この欲求は「私も」じゃなくて「私は」なんだけど。大学行けた友達の話聞いてて羨望と劣等感と惨めさで潰れそうになる。働けてる友達の話を聞いて暗に働けない自分が見下されてるように感じて憎くなる。なんでそうなっちゃうんだろう?と自分でも納得がいかないけど憎しみが湧いて止まらない。結婚した人、子供がいる人の話を聞いて、自分には手に入らない幸せなんだろうかと思って塞ぎ込む。創作ができる人を見て、自分もやりたいと思って学習して作ろうとして、手が一切出ない。ずっと無力感がついてまわる。

何を見聞きしても全部ストレスになる。私が苦しむからみんな活動を止めてほしい、とむちゃくちゃな気持ちが湧く。人が活動してるとつらい。自分が活動できないことがつらい。

何が、どのように、なぜ、苦しいのか、がぼやけてよくわからなくなる。全部が苦しいわけじゃないはずだ、と冷静に考えて自分の怒りや憎しみを押し留める。私は生きながら怨霊になった気がする。何もかも生前供養のために行動している気がする。

2020/1/31

8:30就寝

17:00起床

17:30朝食(ツナチーズトースト)

19:00ゲーム(SEKIRO)

22:00夕食(カルボナーラ)

23:10映画『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』鑑賞

1:18映画『マザーハウス 恐怖の使者』鑑賞

 

映画はAmazonPrimeVideoにあったやつをdiscordで会議通話しながら観ました。

 

映画『ウィンチェスターハウス』、実在するウィンチェスターミステリーハウスのこと知ってるので題材をそれにした上でハウスホラー系の映画になってるのかな~と思いながら観た。なんか急に脅かしてくる系の映画だった。ウィンチェスターライフルで兄弟が殺された人の怨霊が襲い掛かってくるのをライフルで撃って倒したので「いいのかな……そんな倒し方で……倒してよかったのかな……」って不安になっちゃった。

あとなんかウィンチェスターライフルで撃たれると「ウィンチェスターライフルで命を失った死者の霊」という属性が付与されて、撃たれたあと生死の境を彷徨って蘇生した人も、ウィンチェスターライフルで撃たれた人の世界にアクセスできるようになって霊が見える、というのエンチャント感があって面白かった。これは素直な面白がり方ではなくてふざけてます。ポケモンにゴーストタイプとウィンチェスターゴーストタイプが存在する感じ。そうなのか?

途中ちょっと戦闘モノっぽいかっこいいシーンあって笑ってた。

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映画『マザーハウス 恐怖の使者』はすごい面白かった。ホラーじゃなくてSFミステリだった。あと愛。邦題もジャケットもなんか合ってないと思う。このタイトルとジャケットでまさかこの内容だとは予想できない。これベネズエラ映画だったので、たぶん初めてベネズエラ映画を観る経験をしました。

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脳が弱ってて言葉が上手く出てこない。

ここ最近の最大のストレスになってることがひとつあるんだけど、どう説明したらいいのか分からなくて困ってる。どうやって解決すればいいかもわからない。もうちょっと元気があるときに書いたり話したりして整理できるといいな。

2020/1/30

23:00就寝

6:50起床

7:30朝食(ミートソースパスタ、牛乳)

11:00気絶(急に倒れた)

12:00電話に応答したらしいが記憶にない

17:00意識回復

18:00昼食(お好み焼き、卵かけご飯)

20:30外出(日用品の買い出し)

22:00入浴

23:00夕食(シチューハンバーグ、白ご飯)

23:30読書しながらおやつ(三ツ矢レモラ、カルビーのザ・ポテト)

1:45ブログ更新

 

せっかく朝起きれたのに謎の突発睡眠で1日潰れてしまった。眠ってた間に掛かってきた電話に自分が返事したらしいが全然知らない。ナルコレプシーなんだろうか。検査受けようかと思う。

 

夕食後におやつ食べながらリチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』を読んだ。この前マーダーミステリー『探偵シド・アップダイク case.01 スローターズパレス』を遊んだときに登場人物のファミリーネームがみんな小説家の名前になっていて、その中にブローティガンも居たので思い出して再読した。スローターズパレス面白かったので今度どこかで人集めて遊ばせたい。私GMやります。というのもこのマーダーミステリーはシナリオのネタバレがある以上一度しか遊べないので。

 

『西瓜糖の日々』は最初のどかな感じでほのぼのと読んでたらなんか急に狂気が感染しはじめて、だけどのどかな感じは消えずにやばさと調和するのが好き。別に何が起ころうが何も狂っちゃいないしやばくもないとも思う。実は序盤の虎の話をかいつまんで箇条書きにしてあるあたりで西瓜糖の世界の血生臭さが感じられるのかもしれないけど、なんかこう、虎が人を食うことに対しての感覚が「飢えた虎を哀れに思って高僧が自ら身を捧げる」みたいな徳の高い感じで個人的に固定されちゃってるせいで、西瓜糖の世界の虎が人を食べることに、恐ろしさではなく妖精さんの世界の掟感(なにそれ?)を覚えてしまったせいで自分は気付くの遅れた。ブローティガンもそういうつもりで書いたのかもしれないなと少し思わなくもない。ヘッセが晩年東洋思想に傾倒してたみたいな。ブローティガンはそういう思想による感じではなく自分の生活から湧いたイメージの世界を膨らませ続けたのが西瓜糖なのかな。

 

どんな世界であれ生活は絶対的に生活なんだよな、という感じがする。翻って、どんな生活であれ世界は絶対的に世界で在ることが、生活の如何をまるで介さない、何も思う必要はない、ただ私は生活の中で何かを自然と思っている、ということへの解放感が『西瓜糖の日々』の読後感として自分にはある。

 

夕方に友達から明日映画行こうと誘われたけど、今日の謎突発睡眠で疲れてて明日の生活が予測不可能なので断ってしまった。こういうときによくあるんだけど、自分の体調や起床のリズムが読めなくて約束を断った日に、もし当日になって調子がよくなっても個人的に出掛けたりするのは不義理な気がして、家に篭ってしまう。「明日は体調悪いから」と断った日なのに出掛けてたら相手に悪い気がして。具合が悪いと申告した以上は本当に具合が悪くならなきゃいけないと全身が思い込んでいるっぽくて熱が出たりする。実はそんなの気にせず元気になったら自由に動けばいいのに。自分の生活だぞ。その自分の生活が自分の手中にない感じを長く抱えているのでそうなっちゃったのかもしれない。

 

 

 

・今日の反省点

朝起きれたのに昼に長く寝て一日消えた→もう今度から朝のうちにコーヒー飲んでおいた方がいい

気力が無くなってほぼ何もできなかった→そういうときは全てを無視して自由にするように

ポテチ食べちゃった→好きに食べろ

今日も2食しか食べてない→気にするな

 

 

・今日のよかった点

化粧水買えた ついでに買った三ツ矢レモラがおいしかった ポテトおいしかった 西瓜糖の日々が面白かった

 

無理に朝起きて夜寝る生活に自分を嵌め込もうとすると何もできないので今日は夜更かしして好きなだけ映画観ようかな〜〜と内なる悪魔が囁いてる

 

 

体重の推移、何で管理すればいいのかわからないのでブログに書いちゃお

53kg

2020/1/29

2020/1/29

11:00就寝

14:00起床

15:30外出 病院へ

17:00食事(ハンバーガー)

18:00〜19:00 ストレッチしたりぼーっとしたり

20:30外出 散歩

21:00食事(鴨ねぎうどん)

 

16時間くらい食べてない状態で採血検査を受けたら血が全然出てこなくてまた両腕に針をブスブス刺されてしまった。痩せてるし血管浮いてるから採りやすいはずなんだけど最近やたら採血が失敗する。以前は4ヶ所くらい刺し直されて結局血が取れなくて気持ち悪くなってそのまま倒れてしまった。

 

カウンセリング前に3時間だけ寝て起きた疲れと眠気が22:48現在来てる。

 

今日の反省点

食事が2食とも外食になってしまった、3食食べてない、バランスが悪い

睡眠不足

小説いっさい書いてない

映画観てない

 

今日の良かった点

カウンセリングの時間に間に合うように起きれて病院行けた

鴨ねぎうどんがおいしかった

弦一郎を倒した

生きた

2020/1/28

2020/1/28

7:00就寝

15:00起床

15:30朝食兼昼食(クリームシチュー、ケチャップライス)

21:00夕食(サーロインステーキ、菜の花と長ネギのソテー、白ご飯)

 

ステーキが良い感じに焼けた。ステーキを焼くときは音をよく聴くのと、片面を焼いているときに肉汁が4滴くらい浮いてきてからひっくり返す、というのを意識してやってみた。おいしかった。なんか最近SEKIRO遊んでるからかステーキ焼いてる時に忍殺マーカーが出てくるタイミングでひっくり返した感があった。料理は剣戟

 

自分の行動の癖を振り返っていると、ひとつ気付いたことがあった。

いつもやってないことに挑戦するのが億劫なあまりに、手慣れた行動だけでルーチンワークを組んで、そのルーチンワークの繰り返しで飽きてきてそれすら億劫になって全部やめてしまう、という。

絵の描き方の練習しようと思ったら基礎的な部分の初歩の初歩だけ延々とやってて先のステップに進まないみたいな。

最近ゲーム遊びはじめたんですよ。ポケモン盾とSEKIROを。どっちも日課的なことだけやって先へと進もうとしなくなっちゃってて。

ポケモン剣盾には一日に一回だけ挑戦できるコンテンツが幾つかあって、日付が変更された時に再挑戦可能になるんですが、とりあえずそのデイリーコンテンツだけこなしたらなんか疲れてしまって、メインストーリーや育成に手を付けずプレイを終えてしまう。

SEKIROの場合はデイリーコンテンツとかは無いんですけど、ボス戦でちょっと手詰まりになったから経験値稼ぎや忍具の強化をやろうと思ってぐるぐる同じところを回って少しずつ強くしていくのだけ遊んで、ボスに挑戦するのが面倒くさくなっちゃうみたいな。でもSEKIROに関しては遊びやすいしスピード感あるから多分すぐまたボスに挑み始められるとは思う。そんな遊びやすいSEKIROで手をこまねいて臆病になってるのなんか自分の消極性が出てるなーと。

ソシャゲの大半も新しい要素に挑戦するの面倒くさくてデイリーミッションだけこなして後は触らないみたいなのを繰り返してるうちに飽きてくる。なんか「一日の挑戦回数に制限があるコンテンツ」があるゲームに弱いというか……やれる回数が限られてるなら毎日やらなきゃ、というインセンティブを発生させるのがゲームのデイリーコンテンツなのでそれはそうなんだけど、結果的にその延長線上にゲームを辞める理由がくっついてくる。別にデイリーコンテンツがあるゲームやらなくてよくない?という気持ちはゼロじゃないんだけど、どちらかというと、デイリーコンテンツや義務感や勿体なさを無視して、やりたいことや目的のために舵を切る力、が不足してるのを、そういったゲームを通して都度都度実感する。学習や創作でも、そういった先に進んでいく勇気が萎えてる。

それが私の鬱の形ではあるんだろうけど、変えられるんじゃないか?と最近は意識して勇気を出そうとしている。

自分の思考や行動や生活の中にある、良いところと悪いところ(もっと平たくいうと自分の生活の特徴)を把握して、改善していきたくてこの反省文ブログを書き始めたので、昨日より今日のほうが趣旨に沿ったものが書けたのは嬉しい。

明日は久しぶりにカウンセリングなので自分なりに気付いたことを報告するのと、いつも弱音を吐きそびれてしまうので、ちゃんと今すごく調子が悪いことを伝えようと思う。カウンセラーさんと話すのが楽しいから、ついついカウンセリング中に明るく話してしまって、言おうとしてたことや窮状を伝えそびれる。

午前4時になった。今日はここで終わり。

2020/1/27

生活改善と治療のために記録をつけていきます。

2020/1/27

 

前日の夜に寝ようとして眠れず午前4時から就寝。午後13時に起床。その後夕方17:20くらいから突発的に寝てしまい、21:48起床。

 

睡眠と活動

4:00~13:00 9時間睡眠

13:00~17:20 4時間活動

17:20~21:48 4時間睡眠

今から起きていつ寝てまたいつ起きるのが良いのか見当がつかない。夜の間に眠れるかどうか分からない。いつ眠くなるのか予想できない。

 

食事

14:30 1食目 サーモンの刺身、しじみの味噌汁、白ご飯

22:30 2食目 鶏のステーキ、オニオンスープ、トースト

今日は野菜をほとんど食べてない。味噌汁のネギとわかめくらい。明日はサラダ食べよう。

 

17時に友人から連絡があり「19時に用事がある」旨がわかっている状態で19時には既に眠ってしまっていたのと、連絡の直後に急に眠くなって気絶した。こういうことがよくあるため、なにか眠くなるスイッチと予定ができることが連動している感じがする。カタプレキシー的な発作なのか適応障害のような症状なのか。

 

鬱が重い。目にすること全てが鬱の原因になっているような錯覚を覚えてから、そうではなく、何かが原因で鬱になっているのではなくて、鬱になっていることであらゆる刺激をネガティブに捉えてしまっているんだ、と思い直した。

自分の生活がコントロールできなくて眠ってばかりいることも苦しいし、友人に避けられてしまって疎遠になっているのも寂しいし、将来の不安を前に何もできないし、そういった物事をどうにもすることができない状態で苦しみ続けている。

消極的になっているのと体力が落ちているので最近は自発的に外出しない。今日は散歩に行こうとして天気予報を見たら雨が降ってきそうだったのでやめてしまった。傘さして出ればよかったのに。

 

一時的な躁鬱で衝動的な行動をするのを抑えようと思ってできるだけ冷静に自分を戒めている。自分自身が以前かなり鬱が重かった時期に制御できず暴走していた自覚があるし、躁鬱の激しい人の言動を見ていて衝動的な行いによる不利益を実感していたので、つとめて冷静でいたい。それが消極性に繋がっている気はする。

 

死のうかな、と思ったときに、家族と友人が悲しむからやめよう、だったり、犬と猫の面倒を見なきゃ、だったり、家で死ぬと家の資産価値が下がるからやめよう、だったり、友人に借りていた本やCDを返してからにしよう、だったり、家族や友人や知人がみんな亡くなったあとにしよう、と色々な理由で思いとどまって、でも、じゃあ、そういった理由が全部消えたり、あるいは理性が消えてどんな理由でも死にたさが押しとどめられなくなったときには死ぬのか?ということを考える瞬間が何度も訪れる。

死なない理由にしろ生きる理由にしろ自分本意のものが一つも見出せなくて、死ぬ理由すら自分本意の何かではない気がする。いま生きている上で何か自分のためにできていることがあるのか?というと睡眠と食事すら自分のためではなく「死んだら家族が悲しむから」に終始している。勿論それは自分の認識の話であって食事と睡眠は間違いなく身体を生かすためのものなんだけど。

洗面所で手を洗っているときに、手首に水がかかっていると、手首をカミソリで切って水を当て続けているイメージが湧いて、恐怖で慄いて、天井の梁を見るとロープをかけて首を吊るイメージが湧いて、駅のホームにいると電車の前に飛び込むイメージが湧いて、高所から下を見下ろすと飛び降りるイメージが湧いて、なんというか、死のうと考えているんじゃなく、自然発生する自殺のイメージが頭に浮かんで消えなくて、その恐怖を和らげようとするときに思い浮かんでしまうのが、より苦しくなくて身体を損壊しない自殺の方法で、でもその方法も、もし失敗して後遺症だけが残ったらどうしよう?と心配になってしまって、そもそもそんなことを考えている時点で実は自分がどうしたいのかが全くわからなくなってしまう。

なんにせよ自殺は衝動的な行動であることに変わりはないと思うので保留させる。

セルフ脳内いのちの電話を内蔵しているのでできるだけ自分で抑制しているつもり。

 

抗うつ薬の服用をどうするべきか悩んでいる。飲むと眠くなって長時間寝てしまうので一日三回の服用ができないため「薬を飲むと薬を飲めなくなる」ジレンマがある。何かの頓智か?飲んでなくても眠いけれど。

あと単純に今まで処方された薬どれも苦しさが緩和されたり元気になったりの実感がひとつも無いから合ってないのかな……と思う。飲んだら元気なくなって倒れるだけでつらい。

飲み方が間違ってるとか正しく服用できてないのもある。じゃあ今どうしたらいいんだろう?

 

16年間治療を受けてきて、今、現時点の自分を回復させるのに有効な手立てを探している。支援が受けられるようになったので以前より少しマシになった。

 

少し前までは「無収入の自分には冷房や暖房を使う資格はない」と思っていて使わなかったんだけど今は微かに収入があるので冷暖房使ってもいいかな……と使い始めた。できるだけ厚着をして冬をしのいでいた時と比べると普通に暖房つけて加湿器つけてる今の方が快適だし精神的な負荷も軽い。

もしできるなら部屋の温度・湿度・気圧・空気組成を理想的な状態に保つ仕組みがほしい。部屋の気密性を上げて加圧や減圧のできる換気扇を付けたらいいのかな。エアコン、加湿器、空気清浄機は簡単だけど気圧と空気組成のコントロールが難しいな……。

 

反省文なので今日の固有の反省点を挙げようと思ったけど特に今日固有のものはなかった。生活リズムが崩れている、鬱が重い、のはいつものことだし、鬱が重いのは反省点ではない。世界が反省しろ。私に謝れ。急によくわかんない逆恨みが出てきた。精神がぐちゃぐちゃになってる。

 

これを書いていたら窓の外で雪が降り出した。深夜1時。今日はこれで終わり。