5月1日の日記
前日13時に寝て朝4:40に起きた。15時間睡眠。すごい。
5月の目標は「クソ雑に生きる」だったので早速「13時」「4:40」と表記が一致していなくて普段なら気になって仕方ないところもスルー。いやスルーできてないじゃん言及してるじゃん。
朝ごはんはトースト、目玉焼き、サラダ、ベーコンとポテトのポタージュ。サラダにドレッシングかけるときに慎重に最低限の量を掛けてから「やめろ!丁寧な所作をするな!クソ雑に生きろ!」と自分を詰った。雑に生きるの難しい。
だらだらゲームして昼まで過ごす。
昼ごはんは豚の生姜焼き、鶏肉と大根と玉ねぎの中華スープ、白ごはん。
昼ごはんの後に近所に散歩に出た。快晴で暑くて夏みたいだった。近所の川で子供がいっぱい遊んでいて泳いでる子まで居た。暑すぎるからか公園に居た子供たちがみんな木陰に集まって涼んでいた。なんか麦茶配る係っぽい男の子が率先してみんなに麦茶を注いでて親近感を覚えた。私もファミレスでドリンクバーの配膳係を自らやるので。「持ってくるけどついでに飲み物なに要る?」みたいな。
公園のブランコに乗ってイヤホンでheavenstampの『夏の抜け殻』とANTENAの『ラヴ ラヴ ラヴ』聴いてからジャンプして降りた。久しぶりにブランコから飛んだ気がする。
川原の遊歩道を散歩して上流へと歩き続ける。暑いので喉が渇いてくる。工場の横を通りがかった時に、ふと、工場前の自販機は飲み物が安いことを思い出して覗いてみる。ペプシコーラ500ml缶が110円で売られている。ジーンズのコインポケットに入れてあった小さいジップロックみたいな袋に入れてあった小銭を取り出す。財布を持ち歩きたくなくて身軽に出かけたいとき、こうやってサコッシュすら持たずに、百均で買ったジップロック風のチャック付ポリ袋にお金を少し入れて小さく畳んでジーンズに仕舞う。これをやりはじめたのは確か中学生の時で、体育や部活で学校の外周を走らされるときになんとかお金を隠し持って買い食いをしようとしたのが切っ掛けだと思う。リストバンドにポケットが付いてるタイプのやつもそういう理由で買った。
過去の話から今日の真昼の日射しの下に戻る。ペプシコーラを買う。飲みながら帰り道を歩き出す。途中までは「初夏の暑い中でコーラ飲むの最高〜!」と思ってるんだけど500mlはちょっと多くて飽きてくる。
夕方は読書してた。ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』を半分くらい読んだ。『最初の悪い男』文中の「今夜、わたしはポップする。バタフライし、噛みつき、キックする。彼女が、わたしを選んだ。」のフレーズがめちゃくちゃ良くてテンションが上がる。
夕ご飯はアジの開き、イカと小松菜の炒め物、白ごはん。
お風呂RTAと称して毎日お風呂に要した時間を計測して短縮を狙っているんだけど、今日はお風呂上がってからストップウォッチ止めるのを忘れた。でも止めるのを忘れてることに気付いて止めに来たら1時間くらいだったので実質的には短くなっていると思う。
クソ雑に生きる!日記も短く簡潔に!と思っていたのになんか日記が長くなってる。ほぼ自動筆記だった。
寄稿する予定だった小説が全く書けなくて落としてしまった。
明日の予定を決めてから寝る習慣をつけたい。
明日はアニメ「K」シリーズの1話を観てみる。いまだけ全作が無料公開されている。
絵を描く。眼の描き方の練習だけ。手を描くの難しすぎて心が折れるから。
8年前に自作したパソコンがもうダメそうなので新しく組み立てる見積もりをする。めんどくさかったら既製品で安いのを買う。
今から寝て明日の朝8時くらいに起きれたらいいな。風呂上がりに湯冷めしてきたタイミングが一番寝やすいのでその頃に合わせて横になる。テアニンのサプリも飲んだ。着心地の良いパジャマを買いたいのを思い出した。睡眠に対してだけ丁寧で他の全てに対して雑でありたい。それが一番鬱を和らげる気がしてる。
4月10日の日記
昨夜20時くらいに寝て今朝4時くらいに起きた。最近デカルトが早起き生活1ヶ月で体調崩して死んだ話をしてたせいで早起きして時計見ると「デカルトみたいに死んじゃうよ〜二度寝せえへん?」と思うようになってる。二度寝すると夢が見やすいので二度寝を楽しんでいこう。なんか二度寝せずに今日は起きちゃったけど。
ペンネマカロニ茹でてミートソースと絡めて朝ごはん。コーンクリームスープ飲む。
朝食後にアニメBNA観た。ゴシャッ!モリモリ!みたいな動きのアニメーションが楽しい。5話でみちるがフラミンゴに「タヌキはカチカチ山で泥の船でも乗ってな」みたいに煽られたあと意趣返しで「このあとぉ〜カチカチ山で泥の船作んなきゃいけないから〜早くしてくんな〜い?」と言うセリフの演技がめちゃくちゃに良くてヤバかった
イタチじゃないよミンクだよ、の伊丹さん、なるほどイタチ+ミンクで伊丹か……
BNA観てる最中に出た大声リスト↓
「たぬきー!」
「おまえソーシャルワーカーなの!?」
最近聴いた好きな音楽
俳優のジェレミー・レナーが初EP出した
Shabaka & The Ancestorsの新譜
Bombay Bicycle Clubの新譜
Four tetの新譜
Nothing But Thievesの新曲
サニーデイサービスの新譜
今日は杉浦次郎さんの漫画『異世界でがんばる話』を最新話の48話まで読んだ
https://www.pixiv.net/artworks/79386585
続きが楽しみ
今日も早めに眠くなってきて20時半には寝そう
おわり。
■
死を解放や救済だと思えない、そういった感情の波が時折訪れる。これが何に起因しているのかを考える。
小学生の頃、岩崎書店から刊行された『恐怖と怪奇名作集』全10巻を学校の図書館で読んだことがある。これは海外の恐怖小説や怪奇小説の短篇集で、収録されていた作品がどれも面白く、また純粋な怖さがあって強く印象に残っている。
多分その中にこういった短編があった。
三人の強盗犯たちが夜に焚き火を囲みながら、それぞれ自分はどんな死に方をしたくないか、を話している。一人は絞首刑がいちばん嫌だと言い、一人はギロチンが一番嫌だと言う。……最後の一人がどんな死に方を嫌っていたかを忘れた。
その会話のあと、それぞれ分け前をもって強盗犯たちは別の場所へ向かう。一人はある街で保安官に捕まりそうになり、近場に居た通行人に金を渡して一芝居打ってもらって、自分は既に捕縛されているというフリをするために、偶然手に入れた羊の腸をロープ代わりにして自分を枯れ木に縛りつけさせる。保安官が彼のその姿を見て、ひとまず彼を後回しにし、近くにいるだろう他の強盗犯を探しにその場を離れていく。その隙に彼は通行人にロープを解いてもらって逃げる算段だったのだが、その日の照りつける陽射しと猛暑の中で、ロープ代わりにした羊の腸は乾燥してちりちりと縮んでいく。そして彼の首はゆっくりと締め上げられ、絞首刑で死にたくなかった彼はそのまま首を絞められて死んでしまう。
もう一人は盗んだ宝石を売り捌くため百貨店を訪れる。百貨店のエレベーターに乗っている途中、彼は警官の姿を見つけ、慌ててエレベーターから降りようとして、そしてエレベーターの操縦士は操作ミスでブレーキを引き忘れ、ギロチンで死にたくなかって彼はエレベーターとフロアの隙間に素っ首を撥ね飛ばされて死ぬ。
……もう一人の死に方が全く思い出せない。しまらない。
この短編が、因果応報というよりは「最も望んでいないことがその身に訪れる」ことの恐怖として、寓話的だからこそ刷り込まれて残っている。この感覚が私の中で少しずつ変質していく。
柔らかく曖昧な死生観や宗教観として、私はいつからか「死後の地獄というのはその人にとって最も苦しくつらいものになるはずだ」という感覚を持ち始める。信じているわけではなく、なんとなくよぎるイメージとして、小学生の私の中で地獄は個々の苦しみに対応しているからこそ地獄たりえる、と思えてくる。火で焼かれることや針山に投げ出されることが私に地獄たりえるだろうか?身体的に痛くて苦しければ苦しんで何かと帳尻が合うようには思えなかった。きっと私にとって最も苦しいことが見出されて、そしてその中に私は放り込まれるのだと思う。
そして私は中学1年生の時にうつ病になる。そこからずっと今までうつ病が治らないまま生きている中で、私にとっての苦しみは私の生活そのものになっていく。私はふと思う。私の地獄は今の生活と同じ形をしているに違いない。何度も私は自殺を考える。そのたびにもし死後の世界があったとして、そこは今の生活と同じ、何も変わらずひたすら何もできずに苦しみ続ける場所のように思えてくる。むしろ自殺したあとに既存の生活よりも更に苦しさを増している可能性を感じ始める。自殺の罪で深まる苦しみ。その感覚が一度でもよぎると、もう死に解放と救いを感じることができなくなる。本当はそんなものは一欠片もなくて、終わったあとには、こんな日々は無いんだと言い聞かせても、もう既に自分は元の世界で自殺してここにやってきたんじゃないか?ずっと連続する世界の転落を繰り返してどんどん苦しくなる生活の中で自殺の罪を重ね続けているんじゃないか?という妄想に支配されていく。解放されなかったから次も解放されないんだと思い始める。統合失調症が始まる。私は自分の現状から完全に目を背けて架空の人生を頭の中で歩むことで苦しみを緩和し始める。そしてそれが妄想であると気付く日が来て私はそれを打ち明ける。失望され落胆される。そこから本当に世界に立脚した生活を歩もうとして、でもその日までずっと伏せっていた私にできることはなくて、結局何もすることはできず、約束は守れずに私は見限られていく。何を書いているのか分からなくなった。多分これは着地点を見失ったのではなく書いていくうちに着地点の地面を掘り返して底を下げてしまったように思う。私のこれは文章を書いているのではなくて思考の散逸そのものだから。それが事実でなく妄想であろうと私にとってここは本当に苦しくて地獄たり得ていて。地獄の中に平静はない。まとまる思考も行動もない。結果まで辿りつけない。
2020/3/26の日記
ここ数日体調が悪くてずっと寝ていた。
お酒の飲み過ぎで痛風になっていた人が居たので禁酒応援キャンペーンの一環として私はツイッターを禁じてみたけどその旨をその人に伝えていないのでただ私が個人的にツイッターしてないだけになってた。
夢の中で6分くらい無呼吸で泳いで死にそうになった。
ワクチンの開発施設の研究棟が水没してしまったので、潜水して物資を取りに行くことになる……みたいな夢だった。起きたら首を寝違えていた。
生活リズムの調整に失敗しまくって諦めモードに入った。
ブログのタイトル反省文とか付いてるの辛気臭いし簡単日記とか超シンプル日記でもいいな〜って思ってる
句読点つけるのめんどくさ
ラフにやろ
2020/2/21の日記
睡眠14時間(2/20 17:00〜2/21 7:00)
食事
朝食 7:00(スクランブルエッグ トースト いちごジャム オニオンスープにオートミール少し入れたの)
昼食 11:00(レバニラ炒め 青椒肉絲 いわしの生姜煮 白ごはん 玉子スープ)
おやつ? 15:00 (ピザ チキンブリトー)
おやつ 17:00 映画観ながらポップコーン
夕食 23:00 (ハンバーグ ブロッコリーとレンコンのソテー 白ごはん)
おやつ 23:30 (ポップコーンとコーラ)
今日めっちゃデブみたいな食事してる!
今日は映画館で『ミッドサマー』、悪シネで『アイアンマン』を観ました。
アリ・アスター監督は家族や友人を大切に思って真剣に人間関係を考えている分深く傷ついているんだろうな……と改めて思いました。『ヘレディタリー』観た後もそうだったけど、自分自身の身の周りの人間関係の中にある小さな澱みを自ら放置していることに後ろめたさや恐怖を生じる。
アリ・アスター作品は描かれている家族やコミュニティやコミューンや文化が主軸ではない気がする。それらはあくまでガジェットな感じ。
よく「最終的絶望とは何か」というのを考える。最終的絶望ってそもそも何、というと、自分の中では多分、他の何を差し置いても最も当人にとって苦しいもの、だったり、他の絶望が何かしらの要因で除去可能だったとして除去できず最後まで残るもの、のような概念で……そして最終的絶望とは何か、はおそらく最終的絶望が消えること、救われて失くなることそのものなんだろうな、と思う瞬間がある。何かを苦しんでいた自己諸共に絶望が遠のいていく。怖かったことが怖くなくなる時って、大事だったものを自ら壊したことに後から気付く感触で怖いんですよね。あー、もうどうでもよくなっちゃったんだ……そっか……って。その先には何も建設できない。
悪シネでMCU全部観よう会の嚆矢としてアイアンマン観ました。楽しい〜
その後オーバーウォッチ遊んだ。久しぶりにオーバーウォッチやったらやっぱ楽しい。
「一人だけ正しい判断してるより六人が間違った判断して一斉に突っ込むほうが強い」って言われて確かにそうかも!と思った。
めちゃくちゃ夜更かしして朝になってしまった。眠い。
今日は2020/2/22 7:00に就寝。テアニンとレクサプロ服用。目覚まし時計を14:20にセット。